今日を生きることば

幸せは 築くものではなく

気付くことから 得られる


私たちは、生きる上で、さまざまな目標を立て、それに向かって生きています。

しかし積み重ね、築いたものが、あっという間に崩れ去ってしまうこともあります。

幸せは形あるものであはなく、むしろ「大切なものに気づいていく」ことによって、得られるものなのです。

お釈迦様の別名「仏陀」はインドの言葉「ブッダ(Buddha)」を表し、その意味は「悟った人(目覚めた人)」を表します。つまり真実に気付いた人こそ、本当の幸せを知ることができるのです。

※尚、今月の「三縁・あおい」(2024年7月号)に文京区・天然寺の副住職がこのことを三分間法話に書かれていることを参照します。


母が流した 涙の意味に

報いるような生き方を 今しているか

問うて合掌





花はなぜ咲く 根っこのおかげ

見えないけれど

今もともに 生きている


桜の花ももうすぐ開花しそうな、良い陽気になってきました。

花が咲くのは、目には見えないけれど今現在も見えない土の中で、根っこが栄養を吸い上げてくれているからこそ、瑞々しい花を咲かせることができるのです。

お彼岸のお参り、ご先祖さまは亡くなられた過去の存在ではなく、今もなお、私たちを見守り育んでいてくれることを信じ、感謝の心でお参り申しあげましょう。合掌



春は 必ずやってくる

苦難の中にいる人を み仏は必ず

慈悲の光で 照らしてくれる


春一番が吹き、今年も春はもう間近にきています。

能登半島沖地震では二百数十名の方々が、尊いいのちを失いました。

悲しみや苦しみの中にある人々を、慈悲の光で守り、励まし、照らしてくれています。

仏さまを心の支えにして、つらいこの時期を越えていきましょう。

必ず、春はやってきます。合掌 


新年に 将来なんて意気込まなくていいんだ

今日というこの一日を 心を込めて 生きてゆこう


新しい年をむかえられましたことに喜びの言葉を申し上げ、災害にあわれた方々に心からのお見舞いを申し上げたいと思います。

カレンダーが一枚、新しくめくられただけで、私たちは心を新たにして希望の心を燃やしたりもします。
しかし私たちのこのいのちは、一日一日、一瞬一瞬、吐く息、吸う息の一呼吸のいのちの営みの中に、ご先祖さまから綿々とつながれてきたいのちを生かしていただいていることを忘れずに生きましょう。

新年を迎えると「将来」や「未来」のことに希望の心を起こして、大きな目標を建てたくなるのですが、まずは「今日というこの一日」を「大切に」生きてまいりましょう。
浄心寺は皆さんの幸せや健やかなことを祈っています。合掌


知恩

この私が生きている原因を しっかりと見つめれば

たくさんの恩を 受けてきたと気づかされる


「今、こうして生きている自分」を見つめてみると、父や母をはじめ、多くの人々が育ててくれたこと、励ましてくれたこと、陰から祈ってくれていたこと、等々、あふれるほどの「恩を受けてきたこと」に気づかされます。

「恩」とは、その字が示すように自分が今、ここにある「原因」を「心」の上にちゃんと載せた時に、初めて知ることができるものです。この私は、その恩に報いるような「報恩」の生き方をしているでしょうか?

手を合わせ、自分を見つめ「恩をいただいた方々」にナムアミダブツとお称えし、感謝の心を捧げましょう。合掌


今日を生きることば

人生は道場

思ったように なる人などなく

生きてきた積み重ねが 結果として表れる


人生は、思うようにはならないものです。

誰もみな、思ったように、希望するようにはなかなかならないのです。

そのことを、お釈迦さまは、思うようにならない、苦しみに耐えなければならない世界を「娑婆」(忍土を意味するインドの言葉)と表現されました。

そして「善きこと(善行)」を積み重ねられればいいけれど、つい「悪いこと(悪行)」だって積み重ねてしまう、人間の行いを「業(ごう)」と表現したのです。その業が積み重ねられ表出するのが、私たちの人生です。だからこそ「悪いことはしてはダメ、善い行いを積み重ねて」という人生の大きな原則をお釈迦様自身も説かれています。まさに人生というのは、修行の場「道場」だといえるのです。

この大原則を知れば、自ずと私たちの毎日の生活は、心を込めて、丹念に生きていきたいと願えるのではないでしょうか。健やかにと祈ります。合掌


今日を生きることば

今日の雨が 穀物を 育むように

悲しみの涙が 幸せの種を 運んでくれる


雨の多い日には歩きにくいし、鬱陶しい思いになる人は多いものです。

しかしこの雨こそが、大地や自然に水を与え、多くの穀物を育てる大切な栄養になるものです。これと同じように、私たちが生きる時、目の前に悲しみや思い通りにならないことに出会うと、悲しみの涙を流しますが、この悲しみの涙こそが、幸せの大切な種となっていくものなのです。悲しみは幸せにつながる種だと、忘れないように生きたいものです。