浄心寺は、元和2年(1612年、徳川2代将軍秀忠の頃)に畔柳助九郎氏が大旦那となり、還蓮社到誉文喬和尚を開山上人とし、湯島妻恋坂付近に創建されました。その後、八百屋お七の振り袖火事として知られる江戸の大火により焼失し、現在の地に移転しました。
第二次世界大戦でも空襲に遭い、焼け野原になった中から第23世住職・小池政雄和尚と千代夫人が檀信徒の協力を得て、今日のような復興と発展を遂げました。
政雄和尚は、江戸観音札所の第10番に指定されている「子育て桜観音」こと十一面観世音菩薩像をはじめとする阿弥陀三尊像、四天王像、虚空蔵菩薩像等、仏像の建立に力を注がれました。
戦争で受けた傷から右足をなくし「一本足の和尚さん」と呼ばれながらも、明るく精力的に活躍され、多くの人々に慕われていましたが、平成17年9月に逝去いたしました。
現在は第24世住職として佐藤雅彦和尚が勤めています。
名称 | 浄心寺 |
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山号 | 湯嶹山 |
院号 | 常光院 |
宗旨 | 浄土宗 |
浄土宗の宗紋 | 月影杏葉(つきかげぎょよう) |
総本山 | 知恩院(ちおんいん) |
開山上人 | 還蓮社到誉文喬和尚(とうよぶんきょうかしょう) |
御本尊 | 阿弥陀如来(あみだにょらい) |
札所本尊 | 十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ) 【子育桜観音・本尊の脇侍】(こそだてさくらかんのん・ほんぞんのわきじ) |
月影杏葉
(つきかげぎょよう)